No Beatles, No Life

ビートルズと過ごした52年のエピソード

NHK映像の世紀バタフライエフェクト ビートルズが起こした奇跡・革命 赤の時代

第二次世界大戦最中の1940年、ジョンレノンが生まれた。

翌年、ポールマッカートニーが生まれた。彼も14歳の時に母を亡くした。

ある同じものに夢中になっていた。

リバプールアメリカ軍が駐留していた。アメリカの音楽が入って来た。

リトルリチャードにのめりこんだ。衝撃を受けた。

ジョン「初めてLong Tall Sally を聞いた時は衝撃を受けた。こんなすごいものがこの世に存在するなんて。15歳の僕の心を射抜いたのはロックンロールただ一つだった。」

ポール

「リトルリチャードの声は天国から聞こえてくるようでもあり、同時に地獄からのようでもあった。ある日彼の声をまねしてみると、自分にもできることがわかった。大事なのは自分の中の羞恥心をすべて消し去ること。あとはやるだけだ。」

ジョンとポール、二人の運命の出会いは1957年7月6日

Baby Let's Play House

彼らにとって幸運な出来事が起こった。2年間の兵役が1960年をもって廃止された。1960年時点で21歳以下の男子。

ポール「ビートルズの本当にすごいところはすんでのところで徴兵から逃れられたことだ。生まれるのがあと2~3年早ければ全員陸軍に入隊させられていたわけで、僕たちはどこかの駐屯地に配属されて出会うことすらなかったかもしれない。本当にラッキーだった。僕らには自由と60年代が味方についていたんだ。」

1960年、彼らが向かったのはヨーロッパきっての繁華街、ハンブルクだった。

ライブハウスがひしめくこの街で、3ヶ月に渡って武者修行の日々を送った。

革ジャン姿で酒を飲みながら演奏する粗野なバンドの一つに過ぎなかった。

彼らを一躍人気者に押し上げたのはある人物との出会いだった。リバプールの実業家、ブライアンエプスタインである。エプスタインはリバプールでレコードショップを営む裕福な中流階級だった。客からたびたびビートルズのレコードはないのと聞かれたエプスタインはライブハウスに足を運んでみた。

エプスタイン「ビートルズの演奏を聴いたとき、何かとてつもなく激しいものが迫って来て、彼らの音楽、ビート、ユーモアに一瞬のうちに心を打たれてしまった。

しかし驚いたのは暗くて煙たいステージで演奏していたことです。長い間演劇を嗜んできた私にとっては彼らのステージ演出は物足りなく感じました。1962年にはハンブルクで知り合った腕利きのドラマーリンゴスターがバンドに加わった。