No Beatles, No Life

ビートルズと過ごした52年のエピソード

アルバムバイブル新版 発売

 昨年末に最後のシングル Now And Thenが発売されたことを機に

発売されたアルバムバイブルを購入してしまいました。

これは曲の解説ではなく、アルバムの変遷を2023年までたどった歴史

ということになるのかな?

まず、色々と加工されて今回に至る赤盤、青盤が紹介されている。

僕自身は1971年の時点でオリジナルアルバムはほぼすべて手元にあったので、

1973年の最初の赤盤、青盤は目もくれなかったし、CD化された時も、

3回目もあまり気にかけなかったのですが、今回は技術の進歩で音がよりきれいになり、一つ一つの楽器の音がはっきりと聞き取れるということで、

ついに手を出してしまったという経緯です。

このことはビートルズのメンバーのほぼあずかり知らぬところで

行われていることのようでこのこと自体がいいことなのか、そうでないのかは

意見の分かれるところだろうなと思います。ただ、特にヘッドフォンをつけて

聴いてみた時のギターの音の細部が聞き取れたりすると、それだけで

うれしくなったりするわけであります。

 赤盤、青盤の紹介のあとは、オリジナルアルバムの詳細は振り返り?

まあ、今まで嫌というほど聞いて知っていることが多いですが、

それでもジャケットに関する話や、アルバムのことに関する詳細は解説は

読んでいて楽しいものになるだろうと思います。(まだ、さっと目を通しただけなのでこれからです)なんせ、ビートルズの魅力は多々ありますが、最大の魅力は

その楽曲にあるわけで。味わい尽くしたいと思います。

2月4日 ファブフォーの日 ライブを聴きにアコルデへ

 去年の11月に急遽ライブをやらせてもらったアコルデで

ビートルズコピーバンドのライブがあるということで、出かけてみた。

折しも2月4日というビートルズの記念日ということもあり、偵察という意味で

出席。 BEEBIRDSというバンドで、コンセプトは四人で初期のライブ曲を中心に

演奏するというものだ。唯一ピアノの入ったLet It Beだけが例外だった。

 ギターも全員最後まで同じギターを弾いていた。衣装も初期のもので、マッシュルームのカツラ付き。リバプールビートルズウィークに出場したということで、彼ら(ビートルズリバプール時代の演奏を再現するというのがコンセプトのように見受けられたので仕方のないことなのだろう。

 

曲目は

Eight Days A Week

From Me To You

She Loves You

I Wanna Hold Your Hand

All My Loving

 

Please Please Me

A Hard Day's Night

Help!

It Won't Be Long

Slow Down

 

Boys

Cant Buy Me Love

Yesterday

Let It Be

Twist & Shout

 

I Saw Her Standing There

If I Needed Someone

Kansas City~Hey Hey Hey

Please Mr.Postman

I'm Happy Just To Dance With You

 

Long Tall Sally

Nowhere Man

Baby It's You

Till There Was You

I Wanna Be Your Man

 

Devil In Her Heart

Honey Don't 

Act Baturally

In My Life

まあそれなりに楽しめました

思ったよりお客さんがたくさんで寝屋川でもこんなに集まるんやとちょっと

感動しました

BEEBIRDSのみなさん、ありがとうございました

今日は1月30日 Rooftop Live の日でございます

1969年1月30日

あのルーフトップコンサートが行われた日。

あれは高校生の頃だろうと思うけれど、初めてビートルズの映画を見たのは。。

ビートルズを聞き始めてまもない中学3年生の頃、テレビで放映されたのが、

A Hard Day's Night の映画邦題「ビートルズがやってくるヤーヤーヤー」

そのあとのテレビ放映は「Help!」だったかな?

そしてLet It Be  かまやつひろしのナレーションだった。

映画館で見たのはビートルズフェスティバルと銘打って開催された3本立ての映画祭。

奈良の猿沢の池の畔にある映画館だった。

というわけで、今日の主題に戻ろう。

娘がDisney +やめてしまったために、Get Back 7時間が見られなくなってしまい、

ついにDVDを買ってしまったので、4,5日前から同じ日付の映像を見ている。

ジョージがSomethingを披露している場面などの新たな発見もありやはり買ってよかった。30日のルーフトップ開催に至るまでにもいくつかの紆余曲折があり面白い。最初はテレビ出演をして演奏する案もあったそうだけれど、ジョージが嫌がってやめたとか、いろいろと面白いエピソードが見られてあの頃のビートルズのメンバーの日々の過ごし方が垣間見えて面白い。そういった場面の流れの中で30日、ついにルーフトップに至るので、あのライブがより深みを増して見えるから面白い。実際にはもっとたくさんの曲を演奏したようだ。

Get Back

Don't Let Me Down

I've Got A Feeling

One After 909

Dig A Pony

 

NHK映像の世紀バタフライエフェクト ビートルズが起こした奇跡・革命 赤の時代

第二次世界大戦最中の1940年、ジョンレノンが生まれた。

翌年、ポールマッカートニーが生まれた。彼も14歳の時に母を亡くした。

ある同じものに夢中になっていた。

リバプールアメリカ軍が駐留していた。アメリカの音楽が入って来た。

リトルリチャードにのめりこんだ。衝撃を受けた。

ジョン「初めてLong Tall Sally を聞いた時は衝撃を受けた。こんなすごいものがこの世に存在するなんて。15歳の僕の心を射抜いたのはロックンロールただ一つだった。」

ポール

「リトルリチャードの声は天国から聞こえてくるようでもあり、同時に地獄からのようでもあった。ある日彼の声をまねしてみると、自分にもできることがわかった。大事なのは自分の中の羞恥心をすべて消し去ること。あとはやるだけだ。」

ジョンとポール、二人の運命の出会いは1957年7月6日

Baby Let's Play House

彼らにとって幸運な出来事が起こった。2年間の兵役が1960年をもって廃止された。1960年時点で21歳以下の男子。

ポール「ビートルズの本当にすごいところはすんでのところで徴兵から逃れられたことだ。生まれるのがあと2~3年早ければ全員陸軍に入隊させられていたわけで、僕たちはどこかの駐屯地に配属されて出会うことすらなかったかもしれない。本当にラッキーだった。僕らには自由と60年代が味方についていたんだ。」

1960年、彼らが向かったのはヨーロッパきっての繁華街、ハンブルクだった。

ライブハウスがひしめくこの街で、3ヶ月に渡って武者修行の日々を送った。

革ジャン姿で酒を飲みながら演奏する粗野なバンドの一つに過ぎなかった。

彼らを一躍人気者に押し上げたのはある人物との出会いだった。リバプールの実業家、ブライアンエプスタインである。エプスタインはリバプールでレコードショップを営む裕福な中流階級だった。客からたびたびビートルズのレコードはないのと聞かれたエプスタインはライブハウスに足を運んでみた。

エプスタイン「ビートルズの演奏を聴いたとき、何かとてつもなく激しいものが迫って来て、彼らの音楽、ビート、ユーモアに一瞬のうちに心を打たれてしまった。

しかし驚いたのは暗くて煙たいステージで演奏していたことです。長い間演劇を嗜んできた私にとっては彼らのステージ演出は物足りなく感じました。1962年にはハンブルクで知り合った腕利きのドラマーリンゴスターがバンドに加わった。

洋楽事始からのビートルズ爆発 中学二年生 1970

 中学校入学時は「巨人の星」に夢中だった。子どもの頃は巨人ファンだったし((笑)

そんなぼくがベンチャーズを聞いてはまってしまった。それがおそらく洋楽との出会いだと思う。その後、学校の友達の影響で洋楽を聞くようになり、その良さを認識するようになる。ただし、当時の音源は主にラジオ。AMの日曜日にやっていたベスト10か何かの番組や、深夜放送で新しい曲を知るという形だったように思う。もう一つの音源はボーリング場だ。あの頃はボーリングが大ブームになっていて、うちの家族も結構出かけていた。そんなボーリング場でBGMに流れていたのがジュークボックスから聞こえる洋楽だった。特に覚えているのは「霧の中の二人」「ノックは三回」「悲しき鉄道員」などだ。そして、ラジオのベスト10から流れて来たのが、ビートルズの「Let It Be」。これはシングル盤を購入した。その頃から洋楽に興味を持つようになり、どんどんのめりこんでいったのだ。といっても、お金のない中学生はラジオを聞くしかない。

でも、いつでも聞きたい。そうすると、必要になるのがラジオカセットプレイヤーだ。

お母さんにねだって、ローンを組んで買ってもらったSONYの1400。弟もまねをしてねだって買ってもらった1500。あの頃のうちの家庭はとても貧しくとてもそんなぜいたく品を変える余裕などなかったはずだけれど、やさしいお母さんは無理して買ってくれていたに違いない。おかあさん、ありがとう。そうすると、FMが聞けるようになり、「FMファン」(週刊誌)を買って来て録音したい曲の放送時間をチェックするのが、習慣になっていた。そんな中流れて来たのがビートルズの曲だった。覚えているのが

Run For Your Life, Oh Darlingなど。特にOh Darling にはやられた。なんかどう表現すればいいのかわからないが、胸に突き刺さった感じ。ピタ―っと魂に食い込んできた。

今まで聞いたことのない日本の歌謡曲にはないグルーブ感。新しい世界が開けた感じ。

そして、ラジオで流れてくるポールのAnother Day, ジョージのWhat Is Life?,リンゴの

It Don't Come Easyなど。(ジョンはなかった)

1971年6月3日Another Dayシングル盤購入。

     7月5日What Is Life?のシングル盤購入。

     7月8日Let It Be のシングル盤購入。これが人生初のビートルズのレコード  

         購入になるのだな。

そして、事件は起きる。「ヘイジュードのレコード一日かける事件。」

     8月6日Hey Jude のシングル盤購入。僕はこの曲がビートルズ最高の楽曲だ

         と断言できる。なぜなら、あまりの曲に対する感動に弟にレコードの針を落とす役を命じて、終わればまた初めから再生させるという兄貴風を吹かせていたのだ。おそらく一日中それは続いたのだ。正確な時間の長さは覚えていないけれど、

たぶん一日中だ。

     こうして僕たち(弟と)のビートルズレコード集め大作戦が始まったのだ。

そして1971年、ビートルズ爆発が始まる。

ビートルズとの出会い 1964

ビートルズが日本で知られるようになったのは、資料によると

1964年、「抱きしめたい」のようだ。

僕がビートルズを意識して聞き始めたのは、1970年頃だから

それまでは意識していないけれど、聴き始めてから

「抱きしめたい」を耳にして、

これは昔どこかで聞いたことがあるということがわかる。

たぶん、それほど日本中のラジオなどでかかっていたのだろう。

だから、これがビートルズとの出会いということになるかな?